なんとか捕まっていればなんとかなる日も来る
退院した後はこの焼野が原のような現実で自転車コケルは膝擦りむくは妄想に襲われるはで生きた心地しなかったけどなんとかMother Shipに捕まっていたら少しずつ物事も好転したよ。今絶望を抱いている人もどこかにギリギリ捕まってれば絶対ものの方から君の方にすり寄ってくる日が来る。って自分に言い聞かせながら今日も行く。
寝れることが正気の証
病院では8時に薬の9時消灯だった。眠れない夜は辛かった。
でも退院してからはずっと眠り過ぎなくらい眠れている。だから日中は激しい音楽を聴けるようになった。俺は気が振れてないぞという意味で気が振れた激しいジャズやロックを聴く。そして9時を過ぎたらゆっくりな曲にシフト。それでも禁断症状でなければ大丈夫だ。
個室から出て社会に戻ったらそこは焼け野原だった
個室にいた時は有り余る時間の中で勝手な夢想ばかりしていた。なので外泊したときに何も変わっていなくてガッカリしたほど。でもそれが社会というもの。2ヶ月くらいでは何も変わらない。
退院したら家は針のむしろ、少しでも躁に振れたらまた保護観察入院という恐怖の中でここまでやってきた。自分が社会に出来ることはごくわずかでボランティアもレンタルおじさんも禁止された中で僕が出来るのはひたすら書くこと。
社会とどこで折り合いをつけるか?
1月にかなりハイな時はそのことばかり考えてた。今考えると馬鹿だが両親に迷惑をかけないと言う意味で僕を勘当してくださいとまで頼んでいたから馬鹿なのか?
でもあの時の力強さはもう一度ほしいくらい。
今は弱気に寄ったなんとか生きているという感じ。音楽だけが社会と繋がる手段。
この先どう折り合いをつけるかは重要なテーマ。
自信を取り戻す
昨日は家族までに行動を疑われかなりピンチだったが冷静になり自分をゆっくり取り戻すことでなんとか無事に過ごせた。
テレビも自分に対して語りかけているような気がしたが最後は肯定的な番組を見ることができ自分の気が向こうまで伝わった気がして嬉しかった。
でも寝たらまた一日が始まる。気の遠くなるような毎日の繰り返し。服薬は一ヶ月に一度しか内容を変えられない。でも僕は多量の薬にもメゲず絶対社会復帰して見せる。